正信偈
2014年01月31日
母の死と死生観
過日はブログ記事のお詫びをさせていただきました。
そのご、またまた老いた母が入院し看病でブログ綴りを中断せざるをえなくなり本当にご無沙汰続きです。
母は手を尽くし看病したものの老衰のため92歳の生涯を閉じてしまいました。
くしくも今は亡き父の命日と同じ23日でした。
改めて夫婦の絆の深さを思い知ったのでした。
信心深い母は父亡きあと、お仏壇にお参りをし正信偈を唱えることを日課としていました。
来る日も来る日も読経しつづけた正信偈は破れんばかりでした。
仏教用語に「読み破る」という言葉があるそうですが、まさにそれを地でゆく信心の人でした。
南無阿弥陀仏を唱えれば救われると口癖のように生前母は言っていました。
私は若いころ「南無阿弥陀仏を唱えるより実践することが一番大切なことよ」と生意氣なことをいっていたもので
した。
亡くなってようやく氣づくことの何と多いことかと思われます。
大正、昭和、平成にわたって生き抜いた、たくましい母の姿、そして荘厳な死をとおして遺族、とりわけ多感な少
年に死生観を教えてくれたことでしょう。
亡くなる前日まで笑顔の母でした。今は安らかならんことをお祈りするばかりです。
今日もご訪問くださいまして、たいへんありがとうございました。
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hiroko6801 at 11:52|Permalink│Comments(0)│